平野啓一郎 葬送

書籍

はじめに

今回は小説の感想です。

作品は『葬送』。単行本で読むと、〈第1部〉と〈第2部〉の2冊です。


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作者:平野啓一郎
出版社:新潮社

〈第1部〉
ISBN-10:4104260037
ISBN-13:978-4104260034

〈第2部〉
ISBN-10:4104260045
ISBN-13:978-4104260041
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現在は文庫版も出ていて、そちらは〈第1部〉と〈第2部〉それぞれ上下で計4冊に分かれています。

私はクラシックギターが好きなこともあって、平野啓一郎さんを知ったきっかけは映画版の『マチネの終わりに』でした。

あるときショパンの映画(楽聖ショパン)を観たのがきっかけで、ショパンの伝記を読むのに凝っていました。その中の一冊が平野さんの著作であることに気がつきました。

その『ショパンを嗜む』という本は、『葬送』を書くための取材メモを元にして作られたというので、俄然『葬送』にも興味が沸いてきたというわけです。


 

 

さて、『ショパンを嗜む』にも書かれた膨大な取材をもとに書かれた『葬送』ですが、ハードカバー版では〈第1部〉が553ページ。〈第2部〉が713ページと大変な長編となっています。

さらに、ショパンにしか興味がないところ、主人公はショパンに加えてドラクロワという謎の画家(読んでいるうちに『民衆を導く自由の女神』を描いた有名な画家だと判明)。読むのが難航する可能性がありました。

葬送の概要

主人公

主人公はショパンとドラクロワ。

ショパンは作曲家、ピアニストとして。ドラクロワは画家として、いずれも19世紀にフランスを中心に活躍した天才芸術家です。

小説は数十ページの小さな章に分かれていて、それぞれショパンまたはドラクロワのどちらかに焦点を当てた内容になっています。

別々の2つの人生をそれぞれ見ていると、ときおりそれらが重なる瞬間があるという趣です。

舞台

舞台は主にフランスのパリです。

当時のフランスには貴族のサロン文化があり、芸術家はそこで評価されることが成功への近道でした。

そこでは多くの音楽家、画家、文筆家らが活躍していました。

時代

ポーランドはロシアに支配されるようになり、パリは革命が起こるといった具合で、波乱に満ちた時代であったと言えると思います。

ショパンやドラクロワと同じ時代に活躍した有名な名前がたくさん見られます。

  • ベルリオーズ
  • リスト
  • アラール※
  • サンド

など。

※クラシックギターを弾かれる方は、タレガの『アラールの華麗なる練習曲』をご存知でしょうか。ショパンの共演者として出てきたアラールを、私はそのアラールなのかなと勝手に思って読みました(真偽未確認)。

描かれる範囲について

これだけの長編なので、主人公の生涯が描かれるのかと思いきや、一部しか描かれません。

ショパンに関して言えば、パリに渡って一番活躍していた時期から最晩年が描かれていて、幼少期の描写は回想で登場する程度です。

その分、ある時期における登場人物たちの内面が細やかに、丹念に描かれています。

葬送を読んで得られるもの

小説を読んで「楽しむ」ではなく「何かを得る」というのもおかしな話かもしれませんが、大きく二つ得られたと感じられたことがあります。

 

一つは教養です。

小説の中で、具体的な作品名が数多く出てきます。ショパンであればピアノ作品が、ドラクロワであれば絵画作品です。

それぞれの作者がどうやって作品を仕上げていったのか。どんな思いを持っていたのか。そんなことが描かれているので、作品名が出てきたら都度どんな音楽あるいは絵なのかを調べながら読んでいくと、あたかも作品の解説書のような性質があると思います。

 

もう一つは「天才」という存在への理解。

これが多少なりとも得られたのではないかということです。

ショパンのピアノ演奏に対する描写を読んでいると、ピアノを弾いている姿がありありと浮かんできて、音を想像せずにはいられませんでした。

ドラクロワに至っては、アイデアが枯渇するということはなく、とめどなく溢れてくるアイデアに困るほどだというような描写になっています。

当然周囲の画家たちからは羨望の的となるわけで、自分のような天才性を持ち合わせていない芸術家との関わり方といったところも興味深い描かれ方をしています。

葬送 感想

とにもかくにも読み始めたのですが、まず、出だしで大きな衝撃を受けることになります。

ネタバレしたくないので詳細は書けないのですが、ショパンについて知ろうと思って読み始めた人はかなり動揺するような内容から始まります。

その後少し読み進めると、(この長さに関わらず)どうやらショパンの生涯を網羅したものではないらしいことも判明します。そういう意味では期待外れでした(結局は違う面で期待以上の満足感が得られることになります)。

 

これも少し読んで感じたことですが、漢字がやたらと難しいなと思いました。

同じ言葉で複数の漢字がある場合に、ほぼ確実に一般的でない方が採用されているイメージです。

そして、普通はひらがなで書かれそうなところに感じが多用されています。

 

ここに、〈第1部〉を読む間に私が意味と読みを調べた漢字を列挙してみます。

齎(もたら)す
裡(うら)
慇懃(いんぎん)
誂(あつら)える
頓智(とんち)
忽(たちま)ち
寂寥(せきりょう)
啼声(なきごえ)
放埒(ほうらつ)
俄(にわか)に
嘗(な)める
諦念(ていねん)
慄然(りつぜん)
谺(こだま)
圏谷(けんこく)
侘(わび)しい
頸(くび)
惜(お)く
曳(ひ)く
逢着(ほうちゃく) でくわすこと
悪し様(あしざま)に
竦(すく)める
厭(いと)う
歿(し)した
喚(わめ)く
縋(すが)る
零(こぼ)す
序(つい)で
悪洒落(わるじゃれ)
頽唐(たいとう)
飜(ひるがえ)す
戯(たわ)ける
逸楽(いつらく)
嘗(かつ)て
已(や)める
就中(なかんずく)
序(つい)で
萌(きざ)す
径(ただ)ちに
縺(もつ)れる
少(すこ)しく
気怠(けだる)い
逸早(いちはや)く
挿(はさ)む
到頭(とうとう)
猶(なお)も
畢竟(ひっきょう)
萌(きざ)し
待ち敢(あ)えず
殊(こと)にする
寛(くつろ)いだ
萌(きざ)す
已(や)め

この漢字の難しさも影響してか、読み終えるまでには半年ほどを要してしまいました。

 

それだけではなく、一気に読み通すには少々精神的にまいるところがありました。単純に文章の量が多いだけではなく、心理描写が深いのが影響していると思います。

人間の思考の奥の奥が描かれているので、簡単に読み流すことはできませんでした。

 

そんなわけで、〈第2部〉まで読み終わって最初に出てきた感想は、どうしても「長かった」になってしまいました。

時間をかけて読んだ分、ショパンとドラクロワの人生に深く関わったような気持になれました。

 

最近の漫画やライトノベルの流行で「異世界転生もの」というのがありますが、当時のショパンやドラクロワに転生して、成り代わってその人生を生きたような、そんな体験をした気がします。

 

 

それから、伝記とは違って一つ一つの人間関係について深く描かれています。

サンドやスターリング嬢は、ショパンの人生に多大な影響を与えた人物の例ですが、伝記ではせいぜいどんなことをしたか書かれている程度です。

 

2人が何を考えてそういう行動をとったのか。それに対してショパンはどう感じていたのか。周囲の人たちの反応はどうだったのか。

小説ですし人の内面は想像で書かざるを得ない部分も大きいと思うので、史実から外れる可能性はありますが、しかし、人の内面をこれだけ考える機会を与えられるのは貴重な経験でした。

 

 

作曲家ショパンについて知りたいという大きな動機があったわけですが、単に伝記を読むだけよりもずっと理解が進んだのではないかという実感があります。

ドラクロワという、他分野でありながら天才であるという点ではショパンと共通する芸術家の人生を並行して見れたこともまた、ショパンの人生を理解するよい手助けとなったと感じました。

 

 

自分の人生が進んで別の段階に入ったときに、あらためて読んでみたいような、そんな気持ちにもなる作品でした。

コツコツ読むにはKindle版もよいかもしれませんね。

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